思いつくままに・・・

旅の話や,日々思っていることなどを書いていきます。

 1    旅の始まり
更新日時:
2004.12.23 Thu. 
 アジアの国へ行くようになって10年が過ぎ,11年目になります。今年は,きりのいい10周年だったのです。
 今から十数年前,私の小学生時代からの友人が,いろいろあって1人で1ヵ月程タイへ初めて行きました。げっそりとして帰ってきました。その後またタイへ行きました。そのうち私に「一緒に行かへん?」という誘いを幾度もしてきました。
 当時の私のタイをはじめとする東南アジアの印象は,“恐い,危ない…”等々で,全く良い印象はありませんでした。
 海外へは1度だけ,中学生時代に2週間程,アメリカのカリフォルニア州でホームステイし,帰りにハワイへ寄ったことがありましたが,自らは行ったことがありません。
 悩んだあげく,ある日一大決心?をして,友だちに「じゃあ,行ってみるわ!」と言いました。友だちは,誘っていたもののあまり期待していなかったようで,逆に驚いていました。
 私の人生は,かなり曲がりくねってしまい,いろいろと悩むことが多かったのですが,このときも大げさに言うと,それまでに悩んだことに近いぐらい考え込みました。
 そして,“決死の覚悟”で行くことにしました。

 2    旅の始まり2 〜緊張と驚きと〜
更新日時:
2004.12.25 Sat. 
 10年前のことをふり返るのは,結構しんどいもんです…(^^;)でも,最初の旅が1番インパクトがありました。まさに,未知の世界でした。
 バンコクには確か夜に着いたと思います。空港から街まで出るのに,友だちは空港横の一般道まで降りました。同じことをしている人は誰もいませんでした。暗くて,人気もなくたいへん不気味でした。「ほんまに来てよかったんかなあ…」という気分でした。普通の路線バスに乗り,ファランポーン駅まで行きました。次の日に北上し,チェンマイへ行きやすいようにです。
 しかし,道路がただ渋滞しているだけなのにめずらしく見え,満員の車内でスリに遭わないようにと緊張することも,何もかも新鮮でした。
 そして,初めて泊まった旅社(中国系の安ホテル)の安さとボロさにビックリ!タイ編のトップに出ている画像です。120バーツ(当時で480円)。1人分だと60バーツです。この旅の時は,サメット島のバンガロー以外は,全て旅社・ゲストハウスでした。(今は,贅沢になってしまい,1,000円〜5,000円クラスのホテルが中心になってしまいましたが…歳を取ってきたり?1人旅になってからは治安も気になるんです。)
 旅社に荷物を置いた後,街へ出ましたが,結構遅い時間でもそこら中に人があふれかえっていて,暗いところでも地面に座っている人がやたらと多かったんで,ちょっと怖かったです。その当時からVTRは持って行ってましたが,友だちは「カメラを向けたら危ない!」とか言うのでやめてました。数年前からは,どんなところでも構わずに回すようになりましたが…
 その当時,日本では今ほど若もんがコンビニや電車内やそこら中の地べたに座ってなかったと思いますが,なんか発展している日本なのに,こういったところは向こうの国と同じようになっていっているなと思い,果たして日本はどうなるのか?と強く思います。
 〈アジアにハマっていった過程は,次回の旅の始まり3あたりで…〉

 3    なぜアジア??
更新日時:
2004.12.25 Sat. 
 よく,「なぜアジア?」,「ヨーロッパとかは興味ないん??」と言われます。欧米などに興味がないことはありませんが,今現在は行こうとは思いません。距離も長くなるし,チケット代や向こうの物価を考えると…金持ちではありませんので…
 特にアジアの国々は,行くとハマる人と「2度と行きたくない!」と言う人に分かれやすいと思います。私は,もちろんハマってしまった人間です。食事の面でも,よく言われるパクチー(コリアンダー)は大好きです。家の畑でも植えていたことがあります。
 私は昭和40年生まれなので,戦争直後の日本は知りませんが,向こうのどこか懐かしい古き良き素朴な日本を見るような雰囲気,混沌とした街,決して豊かではないけど暖かい笑顔の人々…全てが大好きです。もちろん,いい人ばかりでなく,詐欺まがいのことをしたり,ぼったくりというのもありますが,それはそれです。
 日本の慌ただしい毎日,矢のごとく駆け抜ける時間,あふれかえる物資や情報,訳のわからない事件や出来事等々,毎日精神的に疲れています。その疲れた心を癒しに行くのです。向こうへ行くと,ホッとするのです。そしてリフレッシュして日本へ戻ってきます。
(仕事でもいろいろあって疲れますが,この疲れはイヤな疲れではありませんので,念のため。)
 以前は,夏と冬だけだったのが,現在は,それに加えて,春・GW・秋の土日月の3連休を合わせた年に5回ほど行くようになりました。

 4    地震&津波で
更新日時:
2005.01.10 Mon. 
 冬は,ラオスとタイ,それにミャンマーもちょこっと寄りました。
 私が日本を発った12月26日に起きました。私は,まだ日本OR上空にいるときになると思います。
タイに着き,次の日にラオスのヴィエンチャンに空路で入る予定でしたので,バンコクで1泊しました。じつは,前の晩にゆっくりと準備しすぎて一睡もしてなかったんです。夕方近くにホテルに着くなり朝まで爆睡してしまいました。その前に,ちょこっとTVを見て,なんか津波とかあったみたいやなとは思ってはいましたが…
 次の日の飛行機内にある新聞を見て,これはえらい被害が出てるんやと思いました。この時点で,日本では私の安否を気遣って大騒ぎだったらしいのです。しかし,当の私はラオス航空に予約したのはいいが,本当に飛ぶのか?ゲストハウスにメールで知らせたが伝わっているのか?…などとラオスのことばかり考えていました。それなりに違うことを心配していたのです。人の気知らずなことで…
 ラオスの最初の地のポーンサワンのゲストハウスでは,板の間のお座敷風になっているレストランで欧米人などに混じって夕食を食べながらCNNやタイのTVを見ていました。津波のニュースはずっとやっていて,なんとなく「たいへんなんやなあ〜」と思いましたが,「すぐに日本に連絡を!」とまでは思いませんでした。ことばもわからなかったんで,ほとんど映像だけで判断してました。「今いるのはラオスやし,今度ネットする機会があったときでいいか。」ぐらいで。
 結局,今回は,たまたますぐにネットする機会もなかったんで,このあと31日まで日本には連絡しませんでした。
しかも,連絡した31日はネット屋に入る前に,たまたま通りかかった地元の会社の宴会に巻き込まれて??かなり酔っぱらってしまいメールや掲示板のカキコはしたものの記憶が飛んでしまってました。
 年が明けて1月3日にNHKの海外用のBSが入るホテルに泊まり,詳しいことをここで初めて知りました。旅行者は,日本へ連絡するようにと外務省が言っているのも初めて知りました。
 その時にネット屋に行き,31日に送ったメールの返信や掲示板を見ると,どの人もえらい心配したみたいに書かれてたんで,「日本でもそんな騒ぎになってるんや!!」と改めて知りました。
 私は,何回も来ているんで地理はだいたいわかっていますが,知らない人にとっては,やはりその国で起こったというだけで,詳しくわからないんで不安になります。こういった初心?を忘れていました。こういった災害はめったに起きるもんではないでしょうが,今後はもっとこまめに連絡を取った方がいいと思った事象でした。
 関係のみんなには,たいへん心配をかけたみたいで,反省しています!

 5    なんか納得できない,各国の復興支援…
更新日時:
2005.01.30 Sun. 
 いまだに爪痕が多く残るところである。現地は,本当にたいへんだと思う。
 多くの人々が現地に応援に入ったり義捐金を寄付している。各国政府も支援を表明している。
 しかし,すでにマスコミ等で叫ばれているが,競争するように増えていく各国の義捐金の額,思惑ばかりが先行して本当に拠出されるのか?? というのは私も思う。
 支援する気はあるのだろうが,何か上辺だけの感が否めないような気がする。
米国は,大国の傲慢な態度が見え見えだし,中国は,毎年日本から巨額のODAの援助をもらっているのに,日本近海の油田の開発や軍事の強化,今回の支援の額を見ていると,なんかおかしい思ってしまう。
日本も巨額の支援を表明しているが,予算に緊急用の予備があるとは言え,そんなにあるんなら…と思うのは私だけだろうか?
 国内では新潟地震で多くの人が苦しんでいる。不景気で仕事もままならない人も多くいる。日本で言えば,国際的に国連の常任理事国入りへのアピールもあるだろうが,どこか印象がよくない。私は,別に政府に反対の立場の人間ではないが,そう思ってしまう。
使うべき所は,ほかにたくさんあるのでは?
 
 また,支援物資を送っている画像なんかをニュースなどで見ることがあるが,本当に現地のことをわかって送っているのだろうか?習慣の違いなどはわかっているのだろうか?
たとえば,たしかどっかの国の皇太子か王子かなんかが支援物資の積み込みなどを手伝っている映像が流されたが,大量のトイレットペーパーが映っていた。確かに,必要なものと思う。しかし,対象国のほとんどは人々は水をすくって手で洗うのである。トイレットペーパーは使わない。清潔な水が確保できないので疫病などを防ぐために,仕方なしに紙を使うというのであれば納得できる。私も,詳しく調べたわけでないので,間違っているかも知れないが,どうなんだろう??
 
 自分自身は,多少の義捐金を寄付することぐらいしか手伝いはできないが,色々と思うことは多い。



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